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チシャ

チシャ_c0025724_21385612.jpgランサムの作品には、キャンプ生活が事細かに書かれているため、生活用品や食品がたくさん登場します。日本人の生活が欧米化した今ならいざ知らず、1960年代に翻訳した神宮輝夫氏の苦労はさぞやだったろうと思います。
ランサムを読んで子ども時代を過ごした人たちの頭に、強烈に焼き付いた謎なものはたくさんありますが、その中の1つが「チシャ」。

水夫たちが壊血病にならないように、コックはチシャをたくさん食べさせなくてはいけないのです…

ところで、私はこの年になるまで、チシャを食べた記憶はありません。

先日、友人に連れられて、とある韓国料理店に入ったときのこと。壁のメニューを見たら、「ちしゃ葉」というものがあるではありませんか!

「これはどうしても食べなくちゃ」と思い、注文したのですが、みんなでたくさんの料理をわさわさ食べたため、はっと気がついたときには、どれが「ちしゃ葉」だったのか、よくわからなくなっていました。
まさかキムチの下に敷いてあったやつじゃないわよね。。。

ところで、この「チシャ」、原作では何という単語だと思います?

答えはこちら

# by foggykaoru | 2005-03-28 21:46 | バベルの塔 | Trackback | Comments(12)

河口慧海著「チベット旅行記」(講談社)

児童文学に話題が偏り過ぎたので、ちょっと気分を変えましょう。

この本の著者は、その名前から想像されるとおり、お坊さんです。
ですが、普通のお坊さんとはちょっとばかり、、、いや、非常に、違います。
語り口こそ、いかにもお坊さんらしく、古めかしくて奥ゆかしいけれど。

仏教を追究するには経典が必要。でも、それはチベットでしか手に入らない。だったらチベットに行こう。でもチベットは鎖国状態だ。だったら密入国してしまおう…なんてことを思いついて、実行してしまうのです。

文句なく面白いので、どなたにもお薦め。講談社学術文庫で全5冊。

私はこれを読んで以来、チベットに行きたくてしかたがありません。

日本人が書いた旅行記の最高峰と言っても過言ではないと思います。

この本の詳しい情報はこちら

# by foggykaoru | 2005-03-24 20:25 | 過去に読んだお薦め本 | Trackback | Comments(4)

「本を読む少女たち---ジョー、アン、メアリーの世界」(柏書房)

「本を読む少女たち---ジョー、アン、メアリーの世界」(柏書房)_c0025724_9254762.jpg2人の女性(シャーリー・フォスター&ジュディ・シモンズ)による共著。英語圏の少女小説8篇をフェミニズムの観点から論じています。
取り上げられている作品は以下のとおり。
題名、発表年、著者名、国の順です。

1)広い広い世界 1853 スーザン・ウォーナー 米
2)ひなぎくの首飾り 1856 シャーロット・ヤング 英
3)若草物語 1868 ルイザ・メイ・オルコット 米
4)ケティー物語 1872 スーザン・クーリッジ 米
5)鉄道の子どもたち 1906 イーディス・ネズビット 英
6)赤毛のアン 1908 ルーシー・モード・モンゴメリー カナダ
7)秘密の花園 1911 フランシス・ホジソン・バーネット 米
8)学校のおてんば娘 1917 アンジェラ・ブラジル 英

この本は古本屋で見つけました。8作品のうち4作品、ちょうど半分知っていたから買う気になったのです。つまり「ケティー物語」が決め手になったというわけ。

原題は"What Katy read"。つまり、「ケティー物語」の原題"What Katy did"のもじりです。この作品が、英語圏ではかなり知られた存在であるということがわかります。一方、日本語訳の副題の「ジョー、アン、メアリー」とは、「若草」のジョー、「赤毛のアン」、「花園」のメアリーのこと。

フェミニズムの専門用語の定義をきちんと理解しているわけではないのですが、そこはそれ、自分が女性なので、何が言いたいのかは感覚的にわかりました。わかったつもりです(苦笑)

未読の4作品の分析は、当然のことながら、あまりぴんとこないのですが、それぞれの作品が、書かれた時代の「女性のかくあるべき人生航路」を反映しているのだということは、よくわかります。子ども向けの本が「教え導く書」として生まれたので、初期の作品ほど教訓的な匂いが強いということも再確認しました。また、作家たちが、程度の差こそあれ、当時の児童文学の置かれた地位の低さを呪い、あがき苦しんでいたことも。

「ケティー物語」が、ほんの数年とはいえ、「若草」より後に書かれたということに驚きました。この2作品のうち、より新しさを感じるのは「若草」のほうだからです。ここにとりあげられた作家のうち、オルコットという人は急進的な性格の持ち主だったようで、それが作品の中に反映されているということなのでしょう。だからこそ、「若草」が人気を保ち続け、古典として生き延びたのだろうと思います。

一番良く内容を覚えている「アン」に関する章が、やはり一番興味深く読めました。自ら書きたくて書いたモンゴメリーは、珍しい存在だったと言えるかもしれません。当時の常識的な生き方を望み、実際そのように生きた彼女は、それほど革新的だったわけではないのですが、「アン」の中で、彼女は自分が読み親しんだ伝統的な少女小説のパターンを、次々と覆していきます。例えば、アンが髪を切らざるを得なかったシーン、塀の上を歩いて怪我をするシーン、等々。また、アンは失敗を通して成長していくわけですが、それは決して教訓的には語られていません。そこが「アン」の新しさであり、人気の秘密なのでしょう。思うに、モンゴメリーは本質的には体制順応型ではなかったのではないでしょうか。彼女の評伝は未読ですが、晩年は苦労の連続だったと聞いています。それには、外的な要因によるところが大きかったのでしょうが、彼女自身が、自分の本当の姿を(自分にすら)隠して生きたことも影響しているのではないか、と思ってしまいました。

「花園」に関しては、あまりよく覚えていないため、その分析も今ひとつ消化しきれていません。この際、ぜひ読み直してみようと思いました。10年ほど前、テレビで映画を観て、イギリスの雰囲気が濃厚に漂っていることに驚嘆し、新たな興味が湧いたのですが、再読には至らなかったのです。ちなみに、この作品は「感じの悪いわがまま娘」を主人公にしたという点において、児童文学史上、画期的だったと聞いています。

ジョー、ケティー、アン、メアリーに共通するのは、言葉を操る能力に長けているということ。腕力では男の子にかなわない女の子は、言葉によって世界を創造し、支配しようとするということなのでしょうか? 一般に女の子のほうが言葉が早いとか、言語能力は女性のほうが優れていると言われますが、そのことと関係があるのでしょうか? また、ケティーとアンは、「名付ける」力も持っています。名付けるということは、支配することです。

もう1つ、ヒロインの多くは、おてんば的な傾向を持ちます。ジョーはその典型。残りの3人も、決しておしとやかなお嬢様ではありません。おてんばなヒロインに読者が魅力を感じるということ自体、女性読者自身が女性性から脱却したいと思っている証拠なのかもしれません。また、これらの作品のうち、(メアリーはよくわからないけれど)ジョー、ケティー、アンには作者自身が投影されているのだそうです。「物書き」というのは、元来(男性にとっても)ヤクザな稼業とみなされていたのですから、世間の常識に忠実でしとやかな女性がするべきことではなかったのです。作者の分身であるヒロインがおてんば娘になったのも、当然の結果のように思えます。

おてんば娘という人物像は、北アメリカ文学に起源を持つのだそうです。そして、20世紀に入り、新しい教育思潮が生まれ、第一次世界大戦のあたりから、「女性の概念のアイデンティティの修正」が行われるに至って、「学園もの」というジャンルが確立していき、学校でもおてんば娘が活躍するようになります。

1930年代に入り、アーサー・ランサムという男性の作家が、「語り、名付ける少女」としてティティを、「おてんばなリーダー」としてナンシイを創造した、というのは、なかなか興味深い現象です。

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# by foggykaoru | 2005-03-21 09:30 | 児童書関連 | Trackback | Comments(4)

「ケティー物語」

「キケリを知っていますか」の種明かしです。

「ケティー物語」(原題"What Katy did")はアメリカの女流作家クーリッジが書いた少女小説で、小学校低学年の頃の私の愛読書でした。
「キケリ」はこの作品に出てくる言葉。主人公ケティーが発明した遊びの名前です。

その後、欧米の作家による児童文学の翻訳作品が次々と刊行される中、私は「ナルニア→カッレくん→ランサム」というコースをたどりました。

1977年には、夢にまで見た湖水地方の旅を果たしたわけですが、そのとき、ふらりと立ち寄ったロンドンの書店で見つけたのが、"All that Katy did"、「ケティーがしたことすべて」、つまりケティー物語とその続編の合本でした。身体が震えるほど感激して、衝動買いしてしまったのですが、買っただけで満足して、その後20年の間、読まずじまい。

あるとき、知人のお嬢さん(当時大学の英文科の4年生)と話をする機会があったのですが、彼女の卒論のテーマがなんとクーリッジでした。
「クーリッジを、キケリを知っている人がいるなんて!」
私たちは年齢差を越えて意気投合。
そして、原作がなかなか手に入らないと嘆く彼女に、すっかり茶色くなってしまった"All that Katy did"をプレゼントしたのでした。

私が読んだ「ケティー物語」はたぶんこれ。絶版状態のようです。
ポプラ社からも出ていると聞き、「すてきなケティ」を読んでみたところ、数十年ぶりに再会したケティ(ー)は、思いの外あっさり風味でした。

この作品を通して知ったこと、それは、欧米の一定レベル以上の家の主婦は、「家事のきりもり」をする、ということです。自ら掃除洗濯炊事をするのではなくて。数年後、ランサムのある作品の中で「家事のきりもり」という言葉に再会したときは、けっこう懐かしかったのでした。
何十年も住み込んでいるコックやばあやなら、なにも他の人に「きりもり」してもらわなくても、自分の頭で考えて仕事を進めればいいのに…などと、つい思ってしまう私です。身分社会を知らない上に、使用人を使ったこともないから。

# by foggykaoru | 2005-03-19 22:50 | 児童書関連 | Trackback | Comments(7)

ジョセフィン・テイ著「時の娘」(早川書房)

大変面白く読みました。よくできた推理小説です。
同時に、限りなく歴史小説でもあります。怪我をして、病院のベッドに縛り付けられた刑事が、暇つぶしに歴史書を手に取り、かのリチャード三世の実像を明らかにしていく、という話なのですから。ヨーロッパ史と「安楽椅子の探偵」が好きな私にはツボでした。

「歴史がいかにして作られるか」ということがよくわかり、非常に刺激的な内容なのですが、リチャード三世に関する一般に知られたイメージを前もって持っていないと、面白さが半減することでしょう。とは言っても、シェークスピアの「リチャード三世」をさえ読んで(または観て)あれば十分。私なんざ、遙か昔、大学でシェー研の公演を一度観たきりです。



この作品自体は気に入ったのですが、翻訳は気に入りませんでした。

「バーガンディー公チャールズ」はいただけません。
ぜひ「ブルゴーニュ公シャルル」にしてください。
「ブリタニー」という箇所もありました。
もちろん「ブルターニュ」に直さなくては。
呆れたのは「偉人ロレンツォ」。
そりゃ「ロレンツォ・イル・マニーフィコ」でしょう!

どうやらこの翻訳者は、西洋史はお得意ではないようです…

と思って「訳者あとがき」を読んだら、この作品を最初に訳したのは村崎敏郎という人で、私が読んだのは小泉喜美子という人による改訳版でした。

…いったいどこを直したの?

冒頭の、アンドレ・モロワによる薔薇戦争概説の部分だけは、きちんと「ブルターニュ」と訳してあります。モロワはフランス人ですけれど、まさかモロワが書いたフランス語の原文を訳したわけではないでしょう。どうしてここだけちゃんと訳せたのか、とても不思議です。

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# by foggykaoru | 2005-03-18 18:23 | 推理小説 | Trackback | Comments(2)