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英米児童文学のベストセラー40

c0025724_22474183.jpg副題は「心に残る名作」
成瀬俊一編著。
19人の児童文学研究者や翻訳者がそれぞれ、2つないし3つの作品を紹介している。
1作品あたり、写真を含めて4ページしかないので、それほど深いことは書いていない。悪く言えば「とおりいっぺん」。でも、普通の人にはこのぐらいがちょうどいいのかもしれない。私は普通じゃないから(自爆)

今年の6月に出たばかり。
めったに新刊を買わない私がなぜ買ってしまったのか。
ここまで言えば、このブログをいつもご覧になっている方には想像がつくはず。

本を開くと紹介されている40作品の表紙のカラー写真がずらりと並んでいます。
その中でひときわ地味なためかえって悪目立ちしているのが、そう、我が愛する「ツバメ号とアマゾン号」なのです。
紹介者は小野俊太郎という成蹊大学の先生でして、この人が相当のランサム好き。読めばわかります。「とおりいっぺん」の紹介文ではないのですよ。だからつい買っちゃったんです。
どこがどう、ということは、ここでは差し控えます。
ARC会員の方は(忘れなかったら)9月のお茶会(8月はルイス島に行ってるので行けません)に持っていくので、ご自分の目で確かめてください。

40作品の中には日本人しか知らない「フランダースの犬」があったりするので、日本の一般人対象の本であって、決して児童文学のマニア向けの本ではないことがわかります。
もちろん「ハリポタ」もあり。井辻朱美さんが当たり障りのないことを書いてます。

作品紹介ばかりではなく、いくつかのコラムもあります。
その中のひとつ、「イギリス児童文学と食べ物」というコラムに、ランサム・サガの言及がないのが非常に残念。ターキッシュ・ディライトにふれていることには全然文句無いんだけれど。

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by foggykaoru | 2009-07-21 22:44 | 児童書関連

「若草物語」への旅

著者である井上一馬氏がルイザ・メイ・オルコットの生家を訪れて、彼女の足跡をたどる。
ポイントは、なぜ「若草物語」で父親が不在なのか?ということ。

ルイザの父親ブロンソンは当時の先鋭的な思想家。
有名な思想家エマーソン(←知らなかった)とか、「森の生活」の著者ソロー(←この人は知っていたけれど、本は未読)のお仲間だった。(エマーソンはローレンス氏のモデルだそうだ) そして、教育という場においてその思想を実践しようとしたのだけれど、あまりにも革新的だったため、世に受け入れられず、無職に近い状態だった。

生活を支えたのは母親。
この母も、若草物語のマーチ夫人を地でいくような、自分より貧しい人に施しをするのをいとわない人。

その結果、一家は食べるものにも事欠くほど困窮する。とにかくずっとひたすら極貧なのである。
そんな暮らしの中、ルイザは13歳にして人生の目標を立てる。
「父には安定した生活を、母には平和と日当たりのいい部屋と、姉には幸福を、べスには看護を、メイには教育を与えよう」
そして、(ベスは早死にしてしまうし、姉も夫を失うけれど)ほぼその目標を達成し、母を見送り、父が89歳で亡くなった2日後に死ぬ。

で、なぜ父親不在なのか。
それは愛する母親を苦労させる存在だったから。
だからと言って、父親を葬り去ったわけではない。
続編でジョーが父親世代の男性と結婚するのは、最終的に父親を受け入れている証拠。
ほんとに親孝行な娘だ。

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以前読んだ本の、「若草物語」に関する章を読みなおしてみた。
オルコットは少女向けの小説を書くことには気が進まなくて、なかばやけくそで自分の家庭をモデルにして書いたらしい。読者受けするかどうかなんてことは度外視して。ジョーをローリーと結婚させて欲しいという読者の望みも、あえて無視したのだそうな。
女流作家は男性の作家よりも下に見られ、かつまた少女小説も文学としては下に見られていたけれど、家族を養うために書かざるをえなかった。そんな中で、作品の中身に関しては自分の意思を貫きとおし、そのおかげで「若草物語」はそれまでにない作品となり、人気を博すことになったのだ。

モンゴメリも「赤毛のアン」シリーズをいやいや書き続けて、私生活でも苦労が多かったわけだけど、生き方としてはオルコットのほうがすがすがしい。
それは自ら立てた人生の目標に向かって邁進したから。
そして、その目標の基盤には家族への愛情がある。
好きでもない男性と結婚し、世間(と自分自身)を欺いたモンゴメリとは違う。

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ちなみに、「若草物語」はフランスでも翻訳されて、よく知られています。
フランス語の題名は「Les quatre filles du docteur March(マーチ博士の4人の娘)」。
これをもじった「マーチ博士の4人の息子」という作品があります。先日、古本屋で見かけて、思わず買いそうになりました。あとがきを立ち読みしたのですが、題名の由来は説明されていませんでした。そんなこと、フランス文学勉強しても出てこないから知らないのでしょうね。。。
「息子」を読んだことがある方がいらっしゃったら、どうぞネタとして使ってください(笑)

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by foggykaoru | 2009-04-01 19:10 | 児童書関連

翼よ、あれがパリの灯だ

世界で初めて大西洋横断飛行を成し遂げたンドバーグの、あまりにも有名な言葉。
図書館の児童書コーナーでちくま少年文庫(抄訳)を見つけたので読んでみた。

まず感慨深かったのは、これが1927年のことだということ。

戦争に飛行機が登場したのは第一次世界大戦。1914年。
若き学徒・トールキンも駆り出された。
のちに彼が書いた指輪物語の「翼のある獣」、あれには絶対にそのときの恐怖体験が投影されている(と私は思うのだけれど、トールキン自身はそういう指摘を好まなかった)。
それから十数年たったというのに、大西洋を横断飛行は命がけの冒険だったのだ。
で、ランサムが「ツバメ号とアマゾン号」を発表したのが1929年。ランサム・サガに飛行機の記述は無い。だから何なんだと問われると困るんだけど、とにかく、そういう時代だったんだな、と思ったのです。

この大西洋横断飛行には賞金がかけられていたのだそうです。知らなかった。
何人ものパイロットが次々と挑戦し、次々と失敗し、多くが命を落としていく中、リンドバーグはスポンサー探しに奔走する。
このあたり、現代の登山家や冒険家と言われる人々と同じ。
良いスポンサーについてもらえるかどうかは、その人の実績のみならず、人間的魅力によるものが大きいだろうから、リンドバーグは「人たらし」あるいは「おやじキラー」だったのかも。

そして、できる限りの燃料を積み込むために、六分儀もラジオもパラシュートも載せない。まあ確かに墜落したら六分儀もへったくれもないし、それまでの飛行経験に基づいた決断ではあろうけれど、まさに博打。
そうやってまでして積み込んだ燃料だけれど、飛行機がその重量に耐えて離陸できるかどうかすらわからない。なにしろ誰もやったことがないのだから。

どうにか飛び立ち、33時間にわたる孤独と疲労と睡魔との闘いに耐え抜き(垂れ流しだったんですってね。さすがにそんなことまでは書いてないけど)、パリにたどりつくわけだが、何より驚いたのは、前日も忙しくてほとんど完徹だったということ。そんな体調なのに、天気予報を聞いて「出発するなら今だ」と決断する。
今だって悪天候時の飛行は危ないけれど、リンドバーグ時代は飛行高度が低い。ときには海上30メートルなんてときもあるぐらいなので、雨雲や霧が大きな障害になる。雲を避けようと高度を上げすぎると氷との戦いになる。

さらに、到着すべきパリのブールジュ飛行場を見たことがない。「こんな感じ」と噂で聞いているだけなので、「ここかな? うん、きっとそうだ」てな具合。ほんの100年足らず前のことなのに、世界はなんと広く、なんと謎に満ちていたのだろう。

今、気軽に飛行機に乗っけてもらって旅している私です。
ありがとうリンドバーグ。
ありがとう過去の飛行士たち。

サン・テグジュペリの「夜間飛行」あたりも読んでみようかなという気になりました。

いちばん印象的だったのはこれ。
父は、ミネソタの、古い移住者のいったことばをいつも引用した。「ひとりはひとり、二人になると半人まえ、三人では結局ゼロになる」と。

これが開拓者精神というものなのね。独立独歩。
ことあるごとに毛利元就の「三本の矢」を引用する日本人の精神性とは正反対です。



私が読んだ本はおそらく絶版。ユーズドでしか入手できません。情報はこちら

でも、単行本なら今も在庫があるようです。そちらはきっと完訳。情報はこちら

by foggykaoru | 2009-03-29 09:53 | 西洋史関連

どうか暗殺されませんように

Yes, we can!を何回も聞かされましたが、、、
1年も前から延々と予備選やって、ほかのことそっちのけになるのもいかがなものか思うのですが、さすが、ああいう壮絶な戦いを勝ち抜いてきただけのことはあるなあと思いながら聞きました。

いやいや、違う。
ブッシュだって8年前に勝ち抜いた。
だけど、彼はすごくなんかない。

あっ、違った。
ブッシュは二世だった。
二世は「自力」で勝ち抜かなくちゃならないわけじゃない。
だから「さすが」なんて思わされたことは、この8年間、ついぞなかった。
(二世ばっかりの日本の政界はお先真っ暗です)

しかもマイノリティーでトップになるのは大変なこと。
マジョリティーのトップよりもはるかに優秀でなくてはならない。
頭が良いことはもちろん、総合的な人間力がなくちゃね。
パパ・ブッシュのときの黒人国務長官パウエルも、しみじみと優秀な感じが漂っていた。
今のライス国務長官なんか、優秀すぎて怖い・・・。けど、彼女は黒人であるだけではなくて、女性でもある。マイノリティーの二乗なわけで、怖くなっても仕方ない?
そういえば、クリントンだって、奥さんのほうがずっと上、と言われてましたねえ。
(今さらだけど、ヒラリー残念でした。ほんとに今さらだ。)

まあ、黒人とはいえ、白人とのハーフ、というのはミソなんでしょう。
もしも彼が100パーセントブラックだったら、白人票はあんなに取れなかったんじゃないかな。

by foggykaoru | 2008-11-06 21:26 | ニュースから

ジョン・ダニング著「災いの古書」

ペルー旅行のときに持っていった推理小説。

この著書の本は3冊目だけれど、前に読んだ「死の蔵書」「幻の特装本」のほうが重厚で読み応えがあったような気がする。
でも、あまりにも間があいているので、よくわからない。
今回のテーマはサイン本。
だからわかりやすい。
だから薄っぺらく感じるのかも?

印象に残った文は以下2つ。
「インターネットの普及とともに古書業界は難しくなってきている」
「金持ちだけを相手にするようになったら、その業界は芯から腐り始める」

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by foggykaoru | 2008-08-21 21:10 | 推理小説

「旅路の果て--モンゴメリーの庭で」

原題は「Lucy Maud and Me」
事情があってトロントに来た女の子が、隣人であるミセス・マクドナルド、すなわち「赤毛のアン」の著者ルーシー・モード・モンゴメリーと知り合い、交流する。
フィクションです。小説仕立ての伝記。

「赤毛のアンの秘密」を読んであれば目新しいことはない。
でも、「赤毛のアンの秘密」を読んで夢が破れるのは怖いけれど、モンゴメリーについて少しは知ってみたいという人は、まずこれを読んでみるといいと思う。

モンゴメリーを突き放して見ている私ですら、最後には目頭が熱くなった。

トロントに住んでいたことがある人にも興味深いのではないかと。


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by foggykaoru | 2008-06-18 21:43 | 児童書関連

「赤毛のアン」の秘密

まずはこの本に関する情報をご覧ください。
レビューの評価がバラバラなのがおわかりでしょう。

この本の著者である小倉千加子氏はフェミニズム(女性学)研究者。
フェミニズムは、歓迎する人と、忌避する人の両極端に分かれます。そういう立場から、我が国で大人気の「アン・シリーズ」の作者であるモンゴメリの生涯を論じているのだから、読む人によって評価が天と地ほどに分かれるのは当然のこと。

私はと言うと、小倉さんのファンなのです。
彼女の著作の助けを借りて「自分がどういう人間なのか」を悟り、「ありのままの自分」を受け入れられるようになったのですから。(ちなみに、フェミニズムの第一人者として知られる上野千鶴子氏の著作は、私にとって、何の足しにもなりませんでした。)

「フェミニズムなんか何になる? 立場の異なる女性たちを対立させるだけだ。不毛だ」という意見もあります。それはわかるんだなあ。現に「こんな記事を書いたせいで友人関係が悪くなっちゃったらどうしよう?」と恐れおののいている私がここにいます。それでも、少なくともある種の人間にとっては救いになるのであり、それだけでもフェミニズムには存在意義があるのだと、言いたいのです。

で、この本についてです。

「年老いた祖父母を看取った後、ずっと待っていてくれた牧師と結婚。しかし、夫は神経衰弱になる。彼を支えなければならなかった彼女自身は大きな負担を強いられ、必ずしも幸せな晩年ではなかった」と言われるモンゴメリ。
その不幸の原因は何に由来するのか?
精神的に弱かった旦那のせいなのか?

原因は彼女自身。
彼女の生育歴にも大きく関係しているけれど、根本的には、「女性だったこと」が原因だと言ってもいい。

彼女が目指していたのは「アン」のような少女小説作家ではなく、「ほんものの文学者」になることだった。そのあたり、本当は歴史作家になりたかったのに、「ホームズ」で売れてしまったコナン・ドイルと共通しているけれど、ドイルにとっては「男性であること」が足かせになることはなかったという点が、大きく違う。

ビアトリクス・ポターも、その時代の女性に求められていた生き方ができなくて、悩み苦しんだけれど、自分なりの人生を選び取った。モンゴメリは自分に嘘をつき続けて、その苦しさのあまり、最後には精神的にのたれ死にした。

私は中学時代、「炉辺荘のアン」まで読み、「アン」に見切りをつけたのですが、実はこれ、モンゴメリの最後の作品だそうで。死の直前、よれよれの状態で書いたのだそうです。
『炉辺荘のアン』の結末部でのアンのセリフ「かわいそうな子なしのクリスチン」は、阿鼻叫喚の世界にいたモンゴメリの自己肯定の絶叫である。しかし、たとえ荒唐無稽な子ども向けの作品であっても、それは、言ってはならないセリフであった。

同感です。別に私がクリスチンと同じ「子なし」だからではありません。ヒロインにこんなセリフを言わせること自体が言語道断。「ヤキがまわった」とはまさにこういうことなのでしょう。モンゴメリにこそ、フェミニズムを教えてあげたかった、と思ったりもするのですが、彼女はちゃんとわかっていたのかも。それでも、偽りの人生を選んだ。別の人生を選ぶ勇気がなかった。

子どもの頃、「アン」が大好きだったけれども、読み進むにつれて「う~む、結局はこうなるしかないわけね」と微妙にがっかりした経験を持つ人なら、納得できる部分がある本だと思います。

by foggykaoru | 2007-10-04 21:44 | 児童書関連

三浦俊章著「ブッシュのアメリカ」(岩波新書)

旅行記を書いていていつも思うのは、書いたとたんにどんどん古くなってしまうということ。賞味期限が短いのです。文芸作品だったら、後になってもその味わいは変わりません。文学が書けたらどんなにいいだろうと思います。

この本を読んで、同じことを思ったのです。
こういうジャンルの本は賞味期限が短いな、と。
これは2003年刊。もしも出たその年に読んでいたら、もっともっと面白く読めたことでしょう。せめて去年、映画「華氏911」を観る前に読んでいればと思いました。

とはいえ、「華氏911」で描かれていたのがブッシュ政治の1つの面に過ぎなかったのだということが、これを読むとわかります。それに、「今となってはすべてが古過ぎる」というわけではありせん。いや、今だからこそ、より面白く読めた部分もあるのです。

一番驚いたのは、昔から「共和党を支持する人々=中西部の保守層」「民主党を支持する人々=東部および西部の都会を中心とした、進歩的なインテリ層」だったわけではないということ。
それはたまたま今そうなっているだけのこと。
むしろ昔は逆だったと言ってもいい。

先日の衆院選で、小泉自民党が「改革!」と叫び続けたことにより、「自民=保守的」、「民主=革新的」というイメージが崩れ去り、自民党が都会で大勝利を得たことと、奇妙に符合します。歴史というのはこうして動いていくものなのでしょう。

とにかくブッシュ政権は2008年まで続くのです。
今から読んでも、決して遅すぎはしません。

歴史本は好きで読むけれど、現代政治にはそれほど関心があるとはいえない私が、今この時期にこの本を手にとったのは、決して偶然ではないのですが、その理由はここでは述べないことにします。

ただ、指輪ファンには1つだけお知らせしたいことがあります。
この本の114~116ページの「『指輪物語』に重ねる心」という文章は必読です。年季の入った指輪愛読者でなければ、ああいう文章は書けません。

著者は朝日新聞の政治部の記者で、「海の日」の天声人語の記事を書いた人。
でも、もしかしたら、専門の政治を除くと、この人の読書傾向は、限りなく私や私の友人たちのそれに近いのかもしれません。そう思うと、なおのこと深い感慨を覚えました。


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by foggykaoru | 2005-09-29 20:43 | その他のジャンルの本

ロイド・アリグザンダー著「人間になりたがった猫」(評論社)

某掲示板で話題になっていたので、読んでみました。読み始めたら一気でした。

魔法使いに頼んで人間にしてもらった猫・ライオネルが、初めて行った人間の町でさまざまな体験をします。勝手がわからなくてドジばかり踏むのですが、その抱腹絶倒の数々のエピソードの中に、人間社会への強烈な皮肉がこめられています。…というのが普通の書評なのでしょうね。

私にとっての一番の魅力は、主人公ライオネルの人柄(「猫柄」と言うべき?)です。すれてなくて(人間になりたてなのだから、当たり前です)、気持ちがまっすぐで、打算がなくて、しかも猫のように運動神経が良い。クラスにこんな男の子がいたら、人気者になれること間違いなし。しかも、自分がもてることに気づかない。そこにまた、女子生徒たちは胸キュンになるのです…(←かなり妄想入ってます)

町の人間たちの中には、悪人も善人もいます。全体の軽くて明るい雰囲気のわりには、悪人はかなり悪辣です。善人たちは、それぞれいい味を出しています。特に医者がお気に入り。

翻訳は神宮輝夫氏。私は(この本に限らず)神宮氏が書いた「訳者あとがき」が好きです。さりげないけれど、なんとなく心に残るのです。

「私は猫だ」と主張するライオネルとのからみで、いろいろな動物名が使われている台詞がたくさんあります。さぞかし翻訳しにくかったことでしょう。日本語で読んでも十分に笑えるように訳されていますが、原文のトーンはもっと強烈な笑いを誘うものだったかもしれないと思いました。

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by foggykaoru | 2005-04-03 12:57 | 児童書関連

「本を読む少女たち---ジョー、アン、メアリーの世界」(柏書房)

c0025724_9254762.jpg2人の女性(シャーリー・フォスター&ジュディ・シモンズ)による共著。英語圏の少女小説8篇をフェミニズムの観点から論じています。
取り上げられている作品は以下のとおり。
題名、発表年、著者名、国の順です。

1)広い広い世界 1853 スーザン・ウォーナー 米
2)ひなぎくの首飾り 1856 シャーロット・ヤング 英
3)若草物語 1868 ルイザ・メイ・オルコット 米
4)ケティー物語 1872 スーザン・クーリッジ 米
5)鉄道の子どもたち 1906 イーディス・ネズビット 英
6)赤毛のアン 1908 ルーシー・モード・モンゴメリー カナダ
7)秘密の花園 1911 フランシス・ホジソン・バーネット 米
8)学校のおてんば娘 1917 アンジェラ・ブラジル 英

この本は古本屋で見つけました。8作品のうち4作品、ちょうど半分知っていたから買う気になったのです。つまり「ケティー物語」が決め手になったというわけ。

原題は"What Katy read"。つまり、「ケティー物語」の原題"What Katy did"のもじりです。この作品が、英語圏ではかなり知られた存在であるということがわかります。一方、日本語訳の副題の「ジョー、アン、メアリー」とは、「若草」のジョー、「赤毛のアン」、「花園」のメアリーのこと。

フェミニズムの専門用語の定義をきちんと理解しているわけではないのですが、そこはそれ、自分が女性なので、何が言いたいのかは感覚的にわかりました。わかったつもりです(苦笑)

未読の4作品の分析は、当然のことながら、あまりぴんとこないのですが、それぞれの作品が、書かれた時代の「女性のかくあるべき人生航路」を反映しているのだということは、よくわかります。子ども向けの本が「教え導く書」として生まれたので、初期の作品ほど教訓的な匂いが強いということも再確認しました。また、作家たちが、程度の差こそあれ、当時の児童文学の置かれた地位の低さを呪い、あがき苦しんでいたことも。

「ケティー物語」が、ほんの数年とはいえ、「若草」より後に書かれたということに驚きました。この2作品のうち、より新しさを感じるのは「若草」のほうだからです。ここにとりあげられた作家のうち、オルコットという人は急進的な性格の持ち主だったようで、それが作品の中に反映されているということなのでしょう。だからこそ、「若草」が人気を保ち続け、古典として生き延びたのだろうと思います。

一番良く内容を覚えている「アン」に関する章が、やはり一番興味深く読めました。自ら書きたくて書いたモンゴメリーは、珍しい存在だったと言えるかもしれません。当時の常識的な生き方を望み、実際そのように生きた彼女は、それほど革新的だったわけではないのですが、「アン」の中で、彼女は自分が読み親しんだ伝統的な少女小説のパターンを、次々と覆していきます。例えば、アンが髪を切らざるを得なかったシーン、塀の上を歩いて怪我をするシーン、等々。また、アンは失敗を通して成長していくわけですが、それは決して教訓的には語られていません。そこが「アン」の新しさであり、人気の秘密なのでしょう。思うに、モンゴメリーは本質的には体制順応型ではなかったのではないでしょうか。彼女の評伝は未読ですが、晩年は苦労の連続だったと聞いています。それには、外的な要因によるところが大きかったのでしょうが、彼女自身が、自分の本当の姿を(自分にすら)隠して生きたことも影響しているのではないか、と思ってしまいました。

「花園」に関しては、あまりよく覚えていないため、その分析も今ひとつ消化しきれていません。この際、ぜひ読み直してみようと思いました。10年ほど前、テレビで映画を観て、イギリスの雰囲気が濃厚に漂っていることに驚嘆し、新たな興味が湧いたのですが、再読には至らなかったのです。ちなみに、この作品は「感じの悪いわがまま娘」を主人公にしたという点において、児童文学史上、画期的だったと聞いています。

ジョー、ケティー、アン、メアリーに共通するのは、言葉を操る能力に長けているということ。腕力では男の子にかなわない女の子は、言葉によって世界を創造し、支配しようとするということなのでしょうか? 一般に女の子のほうが言葉が早いとか、言語能力は女性のほうが優れていると言われますが、そのことと関係があるのでしょうか? また、ケティーとアンは、「名付ける」力も持っています。名付けるということは、支配することです。

もう1つ、ヒロインの多くは、おてんば的な傾向を持ちます。ジョーはその典型。残りの3人も、決しておしとやかなお嬢様ではありません。おてんばなヒロインに読者が魅力を感じるということ自体、女性読者自身が女性性から脱却したいと思っている証拠なのかもしれません。また、これらの作品のうち、(メアリーはよくわからないけれど)ジョー、ケティー、アンには作者自身が投影されているのだそうです。「物書き」というのは、元来(男性にとっても)ヤクザな稼業とみなされていたのですから、世間の常識に忠実でしとやかな女性がするべきことではなかったのです。作者の分身であるヒロインがおてんば娘になったのも、当然の結果のように思えます。

おてんば娘という人物像は、北アメリカ文学に起源を持つのだそうです。そして、20世紀に入り、新しい教育思潮が生まれ、第一次世界大戦のあたりから、「女性の概念のアイデンティティの修正」が行われるに至って、「学園もの」というジャンルが確立していき、学校でもおてんば娘が活躍するようになります。

1930年代に入り、アーサー・ランサムという男性の作家が、「語り、名付ける少女」としてティティを、「おてんばなリーダー」としてナンシイを創造した、というのは、なかなか興味深い現象です。

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by foggykaoru | 2005-03-21 09:30 | 児童書関連